歴 史  昭和37年アメリカで農業研修を終え帰国した農家が始めてピーマンを導入して栽培がはじまりました。昭和37年4月それまであったヤマヨ、丸温両組合が合併(統合)し、マルヨ園芸部が誕生しました。

 昭和39年からマルヨ園芸部でピーマンの生産販売が行われるようになりました。ちょうどその頃、ビニールハウスも二重張りのマンモスハウスが登場し始め、ピーマン単価もよく収益性が高かったため、2〜3年の内にきゅうり栽培からピーマン栽培に移行しました。

 栽培開始から10年位までは収益性も非常に高かったのですが、宮崎県がピーマンを栽培を開始し面積を拡大し始めた昭和40年代末〜50年代初めにかけて『ピーマン戦争』といわれた時期には栽培面積が減少し、他の品目に移行する農家が現れました。

 昭和44年からシシトウ、昭和47年から生姜・トマト・メロン・スイカ・養鰻などもピーマン栽培と並行して行われました。

 それでも昭和50年代後半から2〜3年の周期はあるものの、栽培技術の向上等により収益的に安定してきたことから、興津地区のほとんどの園芸農家がピーマンを栽培するようになり、県下有数のピーマン産地となっています。

生産者数 38名(平成21園芸年度)
活動内容 興津ピーマンのブランド化

生産量拡大のための生産施設の高度化

新しい栽培方法への取組み

働きやすい環境づくり